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エッセイ

2009年3月24日、WBCで侍ジャパンが優勝、イチローの「おいしいところだけいただきました。ごちそうさまでした」の記者会見で幕を閉じた。
そんなイチローが、昨年の秋、新聞のスポーツ欄で

『大リーガーのイチローが「張本越えならず」3085安打に2本足らなかった今シーズンを振り返って「一番になりたかった。僕はナンバーワンになりたい人。この競争の世界に生きている者として"オンリーワンがいい"なんて言っている甘いやつが大嫌いなんで」』

と報じられていたのを記憶している。私もこの"オンリーワンがいい"には違和感を持っていた。以前、教育界が個性豊かな子供を・・・唱え、学級崩壊に陥った。教育委員会も日教組もすべての子供達が各々の個性で行動すれば、クラスがバラバラになり、学級崩壊につながることにお気づきでなかったようである。

人は誰もが本来"オンリーワン"である。だが、この"オンリーワンがいい"のフレーズが注目されるようになったころから、何か様々な社会病理現象(自殺増加、様々なタイプのDVとかいじめ、格差社会等々)が顕在化してきたような気がする。色んな世界で能力のある人が一番になろうと努力するのは必然である。しかし、その人物もオンリーワンである。イチローもしかりだ。
ただ彼は、友人でライバルでもあった清原の引退試合にわざわざ帰国し、背広、ネクタイ姿の正装で清原の現役の幕引きを見送り、何のコメントも残さず静かに球場を立ち去っていったそうである。オンリーワンで、かつナンバーワンの彼だが、程好い人と人との関係性を身に付け大切にしていることが分かる。加えて今回、母国を離れることで、より母国を愛し、チームメイトと共にWBCで優勝をもたらした。そして、彼は優勝後、「支えてくれているのはみんなだっていうことは、分かっていた。支えてくれてありがとう。チームメイトがつないでくれるっていうのは、すてきですね」と協力の大切さも語っている。

そういったメッセージ、つまり先にも述べたように誰もがもちろんオンリーワンであるなかで"オンリーワンがいい"が決していいわけではない。むしろ、私たちは、程々の人と人との関係性を保ち、時には、その関係性のなかで協力し合うことがどれだけ大事なことかを異国で活躍するナンバーワンの野球人に教わったのである。

そんな付かず離れずの程好い関係性と協力のあり方を、自らが招いた学級崩壊にうろたえる今日の教育界に求めるのは無理のようだ。私は、むしろこれまでお付き合いをしてきたアルコール・薬物依存の問題を抱える人達が集う当事者(自助)グループのなかで 自らの体験を語り、それに耳を傾け、自らと仲間の回復を確認し合う姿にそのあり方を感じる。欧米では、依存の問題を抱える人達のみでなく、治療法の確立していない病、末期癌の患者、家族の集いとして、このような当事者(自助)グループが数多く存在し、その活動はピア(当事者)サポート、ピアカウンセリングとして市民権を得ている。今後、日本でもそのような環境が整備されることを期待したい。

今長崎は、桜が満開の時である。