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  4. 昨今の飲酒にまつわる話題について②

エッセイ

先月、飲酒した産婦人科医が出産に関与したとの報道がなされた。
その病院とは、大阪市内で唯一の、かつ民間で国内初めて新生児集中治療室(NICU)を設置し、リスクの高い妊婦を受け入れる総合周産期母子医療センターにも指定されている愛染橋(あいぜんばし)病院である。その産婦人科医は、そこの62歳の副院長であった。新聞報道、インターネット情報などによると、愛染橋病院は、総合周産期母子医療センターであることから、当然産婦人科医は常に当直にあたっており、その副院長は当直の産婦人科医とは別に「臨時当直」として病院に宿泊し、直接出産には携わってはいなかった、と。ただ、時に当直医の出産を見守り、助言をすることがあったと釈明している。
62歳、私と同じ歳である。医師として経験は十分だ。まして、総合周産期母子医療センター愛染橋病院の副院長、産婦人科医としての知識、力量とも優れた方に違いない。
そして私と同じ歳であることから、後進の指導をといった思いも良く分かる。そういった立場で、飲酒をして現場にいた、という問題である。

昔の開業医は医院で診療にあたっていた。医院とは医者の家である。つまり、医師の住いでもあった。だから、晩酌していても近所から往診依頼があったらほろ酔いで往診鞄を抱えて出かけて行ったものである。私も学生時代、とくに夏休みになると、離島のそれも僻地で開業する叔父の診療所によく遊びに行っていた。ご多分にもれず、そこでも、叔父が晩酌をしている時、または、その後のくつろいだ一時、近隣の村人から往診の依頼を受けていた。やはりほろ酔いの叔父は、舗装もされてない運転がしづらかっただろう村道を自慢のオートバイで出かけていた(もちろん飲酒運転である)。それを不安げに送り出す叔母の表情を今でも忘れない。酔って運転し、往診・診察するのがいいか悪いかはともかくとしても、そんな行為が当時の地域医療を支えていたのである。

では、現在はというと、最近開業の診療所(クリニック)は、ほとんどがビル診療所である。昼間、医師はもちろん常時診療にあたっているが、夜間、医師は診療所とは別にある自宅へ戻ってしまい無人となる。その多くの医師は転送電話などで対応はしているのだが、十全とはいえない。また、医学が進歩し、病の診立ての困難さに加えて、専門性が要求されるようになり、かかりつけの患者でも専門外になると、総合病院への紹介ということになる。私どもの病院も単科精神科病院であるといったところから、外来患者が自殺などの目的で処方薬の大量服薬を行った場合、その多量服用の結果生じる可能性のある呼吸抑制などを危惧して、どうしても総合病院へ、とくに救急外来にお願いすることになる。さらに、入院中の患者でも、高齢者の夜間の急な高熱などにはやはり総合病院の救急外来へ搬送し、転院を依頼することが多い。
となると、そんな急患を受け入れる総合病院の当直医、あるいは、先の総合周産期母子医療センターの当直医らは、睡眠不足のまま翌日の診療に携わることになる。
ところが、人間は睡眠不足では認知能力などの低下がみられ、酩酊状態とほぼ同等の判断力しかない、といわれている。だから、警察の事情聴取でも、眠らせずに行う事情聴取は拷問として禁止されている。多分、眠らない状態での証言そのものが信憑性に欠けるという一面があるからであろう。

これらのことから確かに、これだけ多岐にわたり高度な医療が求められるなかで医療に携わる従事者は、勤務時に飲酒行為を控えねばならないのはもちろんのことである。よって、愛染橋病院副院長、たとえ「臨時当直」なるものだとしても、飲酒は控えていただきたかった。そういった意味では、メディアも一つの警鐘を鳴らした、といっていい。
だがしかし、激務である救急医療、あるいは、愛染橋病院のような周産期医療、そして、小児科医療などに身を置く臨床医に必要な休息とゆとりの時間を提供するシステムを構築しないことには、飲酒はしていないが、酩酊しているのと同じような状態で昼間診療にあたっている臨床医が多数ということになる。また、このような報道のあり方では、激務が予想される診療科を志向する医師に対する何らかの影響を与えないかが懸念させられるところである。そこまでメディアも熟慮して事を伝えて欲しいものだ。

「寝床に就くときに、
翌日起きることを楽しみにしている人は幸福である」:ヒルティ