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  4. アルコール依存症って? そして治療の進め方(私流)

エッセイ

今回は、アルコール依存症についてと、その私流の治療の進め方について思いつくままに書いてみようと思う。
まず、アルコール飲料は正常使用であり、飲む自由と飲まない自由があることを基本として、アルコール依存症の方には、口が裂けても「お酒を止めなさい」と諭さないように心がけている。なぜなら、自由と権利を侵害することになり、憲法違反になりかねないからである。ただ、飲まない自由をご存じないので、それを伝えるためのTPO(時、場、機会)を提供することに専念せねばならないと心している。
また、この病の本質は、心身の障害、飲酒運転、DV、欠勤などの社会的問題ではない。それは結果であり、その元になっているのは飲酒抑制不能である。このコントロール不全については、治療の術はない。そのため、治療、回復してもらうためには、お酒を止めていただくしかない。それも止め続けてもらわねばならない。これが簡単なようで、なかなか難しい。
彼らアルコール依存症者は、基本的に気配り・几帳面・完全癖な人である。本来、社会貢献度が高い方が多い。反面、愚直で遊びがない。だから、生きづらさを感じた時、アルコールを選択し、アルコールのもたらす酔いでその生きづらさを解消してきた。そして、そんな癒しの時間を繰り返し求め、ついに、その陶酔の時に囚われてしまう。そんな彼らに酒を止めて、断酒を継続してもらうことは、遊びのない愚直な生き方を求めることである。
もともと、気配り・几帳面・完全癖な人だ。身体が悲鳴をあげストレス性胃潰瘍になる方もいる。さらに抑うつ状態、うつ病となり、最近注目されているアルコール依存症者の自殺が、こうしておきるのである。それにも拘わらず、彼らは自分がアルコール依存症であることを認めようとはしない。つまり、それがアルコール依存症は「否認」の病である、と言う所以である。何故彼らが頑固な「否認」を持ち続けるかだが、それは酒を止めた後に、生きづらくなった時の癒しの術が分からないからである。

そこで、私流の治療方針は、まず、アルコールと貴方(アルコール依存症者)との不都合な関係を知識として学んでもらうこと、次に、アルコールを必要としない生きる知恵を身に付けてもらうこと、そして、アルコールを必要としない遊び心を育むことである。そのためには、私たち治療者側と彼らアルコール依存症者との同盟関係が必要になる。
そこで、私流のその「関係作り」について、これから少しふれてみたい。

診察室編

  • まず、ほとんどのアルコール依存症者が、家族、職場の上司、あるいはかかりつけの内科医あたりから、再三注意され、酒を止める様に説得されて私の下に訪れている。そこで、初対面の私が同様に説得しても始まらない。むしろ、精神科病院に受診してきたことを評価して、その勇気を褒めてやることにしている。...同盟関係を結びやすくなる。
  • 「もう一週間も酒はやめている」と、止めようと思えば何時でも止めることができると強調するアルコール依存症者に対して、私は「好きな酒を何故一週間も止めているの??」と尋ねることにしている。...その後は私のペースで話を進めやすくなる。
  • 「ゼッタイ飲みません」と言うアルコール依存症者には、私は「本当にこの病のことが理解出来たら、逆に‟ゼッタイ"飲みませんとは、中々口にできなくなりますよ」と返答し、入院される方には、あらかじめ近所の酒屋さんを教えておく。...説得より納得。
  • 飲酒の結果の失態などを周囲から批判され、受診してきたアルコール依存症者には、素面の時の真面目さを評価してあげた上で、そんな素面の生き方が問題であることを指摘する。...治療の核心部分について、それとなくふれておく。
  • 外出、外泊時に飲酒して帰院してきたアルコール依存症者に対しては、飲める身体にしてあげたと、私は喜んであげる。場合によっては退院を促す。...逆説的に酒を止めるだけが真の治療、回復でないことを伝えているつもりだが!?
  • 酒屋で飲んでは病院への入院を繰り返しているアルコール依存症者には、地元経済の活性化に貢献していることを評価して、「ところで、貴方は得していますか?」と尋ねることにしている。...家族から言われたから、家族のために入院してやっている、といった気持ではなく、自分のために入院することの大切さを伝えているつもりだが!?
  • 私の処方薬を気にする方には、「貴方にとって一番副作用のある薬は何ですか?」と尋ねることにしている。半分ぐらいの方がしばらく考えて、「あっ!アルコールですか?」と。...改めて自らのアルコール問題を自覚していただく。

集団療法編

アルコール依存症者の回復に最も有効なものは、当事者間で行うミーティング(自助グループ活動)で、その代表的自助グループが、断酒会であり、AA(アルコーリック・アノニマス)である。その基本は「体験談に始まって、体験談に終わる」、「言いっぱなし、聞きっぱなし」ということになっている。
よって、治療者側が行なう集団療法も、それに準じたものであるべきだ。それは、アルコール依存症者の回復に寄与するだけでなく、自助グループのミーティングを成熟させるための一つのモデルでもあるべきだと、私は思っている。
そこで、私の集団療法は、テーマは設けないが、三つの決まりがある。

①してはならないこと
  • 助言・コメントを控える...私のいい助言、コメントを期待したやや脚色した体験談になりかねない。やはり、ここは「言いっぱなし、聞きっぱなし」でいこう。
  • 参加者の全員発言にこだわる...全員発言だと、各人に時間制限を行わなければならない。そうなると、今日のこの集団療法で、さらなる回復の弾みになる体験談を語る時が巡ってきたアルコール依存症者が現われた場合、彼にじっくり語れる時間を提供したくとも、できなくなるから。
②しなければならないこと
  • テーマをあらかじめ決めていないので、集団療法をスタートしてから、今回の大切な人を探し、テーマを決めていき、それをつないでくれる大切な人を、これもまた探し続ける。...毎週一回行なっていて、年に数回かな、上手くいったと実感できるのは...。
  • 最後の5分間を大切にする。何時も長広舌の人は、きっと自分のことを分かって欲しい、認めて欲しいのかもしれない。でも、その長広舌が他の人から疎まれ、敬遠された結果、アルコールに依存したと考えてみよう。そうなると、無視するわけにいかない。だったら、そんな人はミーティング時間残り5分といったところで、繰り返し指名をする。そして、そこで起承転結のある語り方を身に付けていただく。‥それもそんなアルコール依存症者の回復にとって重要なこと。
③治療者とアルコール依存症者の認識の違いを理解すること
  • 集団療法が終わった後、今ひとつうまくいかなかったと不全感をしばしば持つことがある。しかし、気にしないことだ。意外と私にはあまり興味の持てなかった体験談の中に、その集団療法に参加の他のアルコール依存症者には共感、感銘を与える体験談があるに違いない。だから、当事者間で分かりあえる言葉の力があることを信じて、なるべく邪魔をしないようにしたいものである。

以上が、私流のアルコール依存症者諸君との同盟関係作りの秘訣である。
思いつくままに...。