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エッセイ

2011年2月8日火曜日の夜間集会でYさんは語った。盟友Mさんが83年の人生を終えたことを...。

二人はアルコール依存症者だ。Yさんのことは、以前「もう一つの歩いても、歩いても」で紹介した私の教科書的存在のアルコール依存症者である。彼は30代半ばで酒を断った。そして、酒を断ってからの彼は、彼の住む漁港の町で地域保健師と一緒に町のアルコール依存症者に対する相談援助を行った。その最初の相談相手がMさんだった。Mさんはいわゆる「静かなアル中」だ。だから、飲み続けている間は誰も気にもとめないタイプの飲み方だった。その分、飲むのを止めた時の離脱症状(禁断症状)は幻覚、妄想に襲われて苦しかったようである。とくにその前駆症状としての「アルコールてんかん」にしばしば見舞われていた。そんなことで、Yさんと地域保健師に伴われて西脇病院に受診、私の診察を受けることになった。

Mさんは、当時52歳。小柄で、度の強い眼鏡をかけていた。そして、初対面の診察の時も控え目で、笑顔を絶やすことなく、その眼鏡の奥のタレ目が何時も閉じているかのような方だった。そう、ご存知かな、『ビックコミックオリジナル』(小学館)の連載コミック「三丁目の夕日:夕焼けの詩」(西岸良平著)に時おり登場してくる牛乳瓶の底のような眼鏡をかけた町のおじさん、お父さんにそっくりなのだ。
私は彼のこれまでの病状から、入院をすすめた。しかし、彼はむきになることもなく、ニコニコ微笑みながら「入院はしません。Yさんと一緒に地元で酒を止めます」と入院のすすめをやんわりと断ってきた。こんな時、私は今もだが、「そんな簡単に酒を止める、と言う方に限って、また酒を飲むんですよ」と、言い返すのだが、彼にはそれが言えなかったのを記憶している。あの何とも言えない笑顔に負けたんだな、きっと...。そして、彼は酒をそれ以来断った。

その後、うちの病院でも、夜間集会、病院が施設を提供して開催される断酒会にも当初しばしば参加していたが、何時のころからか、地元の断酒会の例会活動、Yさん、保健師との相談支援に専念するようになり、会う機会が少なくなっていった。
一年ほど経ってからであろうか、YさんがMさんの件で相談があるから時間を取ってほしい、と言ってきた。私は"再飲酒?"と一瞬思った。だが、そうではなかった。実は、彼の奥さんは、半身不随の身で車椅子生活だった。これまで、そんな奥さんとの生活がMさんを酒に走らせた一因だったのだろう。Yさんの相談は、「そんなMさんの奥さんが、ひどくMさんにあたり散らすので、彼が弱っている」とのことだった。私は当時まだ30歳代前半で、人生経験ももちろん乏しかった。加えて、家庭を持ってない独身の身である。そんな私はYさんの持ってきたこの相談へ次のような提案を行ってみた。

「彼の奥さんは、彼が飲酒している時は、きっと周りから、不自由な体なのにご主人さんがあんなじゃ大変ね、と同情されていたに違いない。でも、彼が酒を断ってからは、彼が献身的に妻の介護をする姿に近隣の人たちは関心を寄せ、彼の評価がむしろ高まり、奥さんにとっては面白くなかったのではないかな...」と。

そこで私は、彼の自宅で彼の奥さんを交えて断酒会の例会を行うことをYさんに伝えた。そして、そこで彼に飲酒当時のことを語らせ、出席メンバーはそれなりに共感しながらも、同時に断酒会の「言いぱなし、聞きぱなし」といったルールには違反するが、皆で彼の過去の飲酒行動を批判してみたら、と。
それは、見事に年末ジャンボ宝くじ大当たりであった。その後、彼の奥さんは穏やかになり、他の断酒会メンバーの奥さん方とも交流を深めていかれたようだ。それから、彼の自宅前はきれいな砂浜であった。そう、プライベートビーチである。そこで夏になると、断酒会の恒例の海水浴がその自宅前の砂浜で行なわれるようになった。私も何度かお邪魔したことがある。そこには車椅子に乗った笑顔の彼の奥さんの姿が常にあった。
ここ十年近くMさんとはお会いしていなかった。Yさんが語るなかで、数年前までMさんは、毎年一回、各地で開催される断酒会の全国大会を楽しみに、必ず出かけていたそうである。

アルコール依存症者は酒を飲み続けたら、早晩、死を迎える。でも、止め続けていてもMさんのように死が訪れてくる。いや、それは人、全てそうなんだ。生あるものが死を迎えること、それは確率100%である。だから、合法薬物であるアルコール、タバコに関しては、精神科医だからといって、使用の良し悪しは、各個人が決めることとして、功罪の情報を提供するだけに留め、要らぬ口出しは慎んでいる。ただ、「誰もが、死を迎えるまで幸せだったとは言えない」といった格言がある。同じようなことで、森山直太朗の歌で"生きていることが辛いなら"の最後のフレーズに「~くたばる喜びとっておけ~」ってのがあるよね。きっとMさんは30数年前、酒を飲み続けていたら60歳前には、それこそ、くたばっていたに違いない。その時、彼は幸せだっただろうか?くたばる喜びがあっただろうか?

そして、今年、彼にあの世からお迎えがきた。私は信じたい。きっと彼は死の間際、とっても幸せだったと、さらに、くたばる喜びを満喫して旅立ったと...。ご冥福をお祈りする。