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情報・法・制度

27

(月)

06月

エッセイ

私たちは、安全、快適、便利な社会で生活を営んでいると、敢えて今、ご批判を覚悟で言わせていただく。そう、二百数十年前に何故か同じ時期に起きた産業革命、ジェンナーの種痘法に始まる近代医学(主に感染症医学)の黎明、そしてそれを等しく享受できる民主思想が市民革命により芽生えたことで、先の3つの要件をそれ以前に生存していた人々より手に入れた現在人。間違いなく、安全、快適、便利な生活を営めている。
しかし、この世は、これまでも、今も、これからも、一寸先は危険と不確実性に満ちている。その危険で、不確実性に満ちた明日を少しでも高い確率で安全、快適、便利な社会にするのが、「情報・法・制度」ではないだろうか。3・11の東日本大震災から100日以上が経過した。まず、ここで改めて、この「情報・法・制度」について考えてみたい。


もう50年以上前のことだ。私はその時、小学5年生だった。それは2校時目と3校時目の間の10分間の休み時間であった。私たち在校生は、教室に残る者、グランド、廊下に出ている者とバラバラの状態で、その時間を過ごしていた。私も友人と二人で数年前に建てられた鉄筋コンクリートの新校舎の3階から2階への階段に向かっていた。「火事だ!」との声を聞いた私は、背にしていた町並みが見える校舎の大きな窓へ視線を移そうと、上体を左側に振り向けた。そして、その上体を半分捩(よじ)ったところで、新校舎から古い木造校舎の屋根裏が見える小窓の向こうに真っ赤な炎が上がっているのを目撃した。それから、もう夢中で階段を駆け下りた。隣の友人には声もかけずに。階段を下りる途中で、同学年の他クラスの担任教師が消火器を持って「落ち着け!落ち着け!」と大声で叫びながら階段を駆け上って行かれたのを憶えている。
私は無事、燃えさかる校舎(小学校)から逃れることができた。幸いにして、私が無情にも声をかけなかった友人を始め全校生徒、教師の方も全員無事であった。

当時もすでに、消防法のもと、学校は年に数回避難訓練を行うといった制度はあった。そして、情報は校内放送で知らされることになっていた。だが、その時は、休み時間であったため、その全てが役に立たなかった。でも、それが幸いしたのでは、と時々思うことがある。

そんな私の体験から、東日本大震災で津波被害にあった大川小学校のことを考えてしまう。あの時、教師の方も、在校生も、それこそ、これまでに「情報・法・制度」に基づいて作成されたにルールに従って行動したはずである。だが、あの悲劇が起きた。一命を取り留めた在校生、教師の方、そしてご遺族の方々の無念は計りしれないものであろう。ひょっとして休み時間なら犠牲者はもっと少なく済んでいなかったかと...。切なくなる。

そして、東日本大震災の後に起きたことだが、列車運行の「情報・法・制度」に従った乗務員を無視して行動をとった乗客の判断が正しかった、北海道の特急火災。これは、どこか私の50数年前の体験に相通じるところがある。 

ここでまた、東日本大震災に戻ろう。まだ、収束の目途の立たない福島原子力発電所についてだが、「情報・法・制度」のてんこ盛りで安全神話を作り上げていたに違いない。しかし、初期対応(ベント開放の有無など)に関しては、その「情報・法・制度」に基づいたてんこ盛りの書類(マニュアル、手引書)にはなかった違いない。そのため、政府も、東電も、そして現場も情報が錯綜して、機能不全に陥ったようである。私も以前、この「情報・法・制度」一辺倒のある機構に対し、ある指導を求めた。ところが、その求めた事項が「情報・法・制度」で作られたマニュアルにはなく、その対応が、同じくその機構を機能不全に陥らせたことがあった。

これらは、人間のこれまで培ってきた英知による「情報・法・制度」が、未来の安全、快適、便利な社会を決して保障するとは限らないことの事例である。このような事例に遭遇すると、人は無力さに打ち拉(ひし)がれ、あるいは愚かさを悟り、そして、おごりを知る。そこで、悲哀、謝罪、償い、検証を経て、明日のより安全、快適、便利な社会を求める。それが、これまで人類が歩んできた道である。
そんな姿勢で東日本の方々が、今回の震災の復興、復旧を果たしてもらいたいものである。


そんな中、西日本の果て、長崎の地で、「情報・法・制度」を振りかざし、未来の安全、快適、便利な社会、とくに医療安全に悪影響を起こしかねない事例が生じている。
ご紹介しておきたい。

2011年5月16日に突然FAXで、早田篤長崎市保健所所長名の医療法25条第1項の規定で立ち入り調査を翌日17日に行う旨の通知がありました。この抜き打ち立ち入り調査の理由は、当院の医療安全に関して、長崎県の医療相談窓口に投書が寄せられたためとのこと。ただ、その投書の内容は、当院の医療安全に関することであるが、投書者の権利を守るためと、それ以外は何も教えてもらえなかった。
翌日、3名の保健所職員と名乗る人物が来院。立ち入り調査を行う旨の告知をなされた。その後、立ち入る場所について、「外来、閉鎖病棟、開放病棟を見せていただきたい」とのことであった。チョッと待ってくれ、当院が医療法に基づいて保健所に届けているのは、『療養病棟』『一般病棟』『急性期治療病棟』である。『開放病棟?』、一日の内で何時から何時まで開放しているのを開放病棟と呼ぶかすら定めがない。それを指摘したら、「勉強不足で!」と釈明。これはおかしいと思いつつ、私は診療に戻り、後は事務部長、看護部長、他のスタッフに任せた。後に聞いたところ、監査中も抜き打ち立ち入り調査らしくない言動があったらしい。そして、指定してきた時間より早めに帰っていったそうである。
調査結果は後日ということであったが、当院も、もし不行き届きの点があれば、早く改善したい。翌日、その回答を求めた。保健所側は、当初は回答作成中と渋っていたが、こちらが要請して1時間後には、回答書を今からタクシーで持参するとのことであった。抜き打ち立ち入り調査の時はFAXで、回答はタクシーですか。
回答内容は以下の通りである。これも早田篤長崎市保健所所長名である。
「平成23年5月17日に実施した医療安全等にかかわる立ち入り検査につきまして下記事項のとおり適正に処理されていましたので報告します。(以下略)...」

いわゆる当院を何らかの理由で貶(おとし)めようとした情報(投書)に行政は法と制度を行使したが、行政側は虚偽の情報で医療法第25条第1項の規定に基づいて、当院に立ち入り調査を行ったわけだ。
そこで早速、電話で早田篤長崎市保健所所長に投書内容、投書者に関する情報公開を求める権利が当方側に生じたこと、よってその情報公開の依頼を行ったところ、「見解の相違」と断られた。また、その投書者(団体?)には、その結果の報告すらしてないそうである。

「医療法25条第1項の規定に基づく立ち入り監査の実地について」は厚生労働省より、各都道府県、各政令都市に対して技術的な助言として通知がされている。
その中で、"住民等から提供された情報に対する対応について"では「...学識経験者の団体等に相談し、速やかに事実確認を行う...」としている。私どもがその後調べた中で、今回の立ち入り調査は、長崎市保健所医事統計係の職員が実施している。当院の医療内容に関して、資料、情報を詳しく知るのは、県、あるいは市の別の部署である。しかし、そこへの連絡、相談は全く行われていない。
また、その技術的な助言の中で、"医療監視員の資質の向上等について"もふれている。あの「閉鎖病棟、開放病棟」発言、その後の監査時の当院職員が確認した監査に入った人物は、とてもその医療監視員とは思えない言動だったそうだ。


私は当初、明日に安全、快適、便利をより高い確率で保障してくれるのが「情報・法・制度」であると紹介した。しかし、この2011年5月に当院に対しての「情報・法・制度」による行為は、明日への安全、快適、便利のためのものとはとても程遠いものである。
今回の立ち入り検査後の5月18日にいただいた回答には、以下のようにもふれてあった。
「立ち入り検査を行うことにより医療機関の医療安全等が確保され、患者が適正な医療を受けられるように長崎市保健所として努力していく所存でございますので、今後ともご協力をお願いいたします。」と。
ほ~ぅ投書があるたびに来られるんだ。それじゃ、医療機関はその対応に追われて、医療安全等の確保などやっている暇がないね。


これを何と表現したらいいのだろう。そうそう、ずい分以前に当時の市長が言論の自由をぶちまけて、市職員も賛同したが、市民の権利と自由にはあまり関心を寄せていただけなかったのを記憶している。その流れなのかな?当時も私は、何かしら市政にファッショの匂いを感じた。今回も同じ匂いがする。

とにかく、明日の安全、快適、便利な社会を維持するために十全ではないにしても、適正に「情報・法・制度」を運用していきたいものである。乱用は困る。

追伸:田上富久長崎市長殿 世界に向けての「平和宣言」は大いに結構です。しかしその前に、長崎市職員のファッショ化を何とかしてください。長崎市民は恐怖に怯えております。