「コンプライアンス」と「アノニマス」
24
(木)
11月
【 エッセイ 】
最近のマスコミ報道で"企業、団体のコンプライアンス・・・"といった表現をよく見聞するようになった。何か「コンプライアンス」なる用語が日常生活の中に溶け込んでいる感がある。「コンプライアンス」とは、日本語で「法令順守」と訳されている。
日本国憲法では、その法の下で国民全て平等である。しかし、どの社会にも諸々の差別が存在する。差別する側と差別される側、これは平等ではない。となると、この差別の存在は、「コンプライアンス」に反することになる。
そこで、差別されている側、つまり被差別の立場の彼(彼女)は、自己の存在の権利と、その理解を求めて行動をおこす。それは、様々な広報・報道機関を通して行われる場合が多い。その行動に携わる被差別者の彼(彼女)は、とくに当初、ほとんどが「アノニマス」である。「アノニマス」とは、日本語で「匿名」と訳されている。
このような場合の「アノニマス」は尊重されるべきである。そのような匿名制に、私は異を唱えるつもりはさらさらない。むしろ、これまで匿名を名乗り活動を続けてきた幾つかの彼(彼女)が組織する団体を支援してきた体験を持っている。
だが、「アノニマス」によるメールの投書を「コンプライアンス」(法令順守=適正な手続きの順守)を経ないで、〝独自の判断〟で法を執行し、結果、そのメールは虚偽であった。そして、その投書の主は何らお咎めなしだ。それも民間に対して。それは、それは「コンプライアンス」にうるさい行政がである。解せない。
これから年度末にかけて、行政は、各医療機関に対して「コンプライアンス」を行っているかと、いわゆる定期監査が行われる。
当院では、今年から知事が9月9日の手紙で指摘された〝独自の判断〟で、この定期監査を行ってもらうことにしょう。ただ心配なのは、当院では今年に入って電子カルテを導入した。かなりの投資の上だ。〝独自の判断〟で定期監査を行う行政の担当者にパスワードを渡して、電子カルテを下手に覗かれて壊されはしないか、と不安がよぎる。いや待てよ、確か国際的ハッカー集団に「アノニマス」ってのがあったなぁ~。「アノニマス」であれば、虚偽の投書であろうとお咎めにもならなかった長崎の行政のことである、きっとハッカー集団の「アノニマス」とも親交があるに違いない。なら、〝独自の判断〟で定期監査を委ねても大丈夫に違いない。
ところで、これまでずい分と知事に手紙を差し上げたが、返事、回答は9月9日の稚拙な内容のものだけだ。県民よる知事宛の手紙が知事の手元に届いてないのではないかと疑いたくなる。となると、県庁内の文書などの流れに関する「コンプライアンス」はどうなっているのだろうか?
そうそう、長崎市長にも手紙と私の拙書をお送りした。聞くところによれば、市長は差出人がはっきりしている投書などには、必ず返事を書かれるとか...。これまた、何時から匿名「アノニマス」に傾倒されるようになったのかなぁ?